You Can Heal Yourself

「シニアの母とのハワイの私」6

「辛くても離婚しなかった母と退屈で離婚した娘」

「私には学歴がないから、あなたを育てられないから辛くても離婚できないの。」といわれて続けて育った私。 この言葉は私の耳に一生残っていくのだろうか。 今でも時々耳鳴りのように戻ってくることがあります。

私は過去に3度も離婚しました。 そしてそのうちに2回の離婚の原因は辛くて言うよりも、退屈という辛さが原因でした。

母から言わせれば単なるわがままでしょう。 しかし私にはこのまま自分の一生がこの退屈でたいした変化もしないまま終わるのかと言う恐怖が離婚へと導いたのです。

アメリカはニューヨークへ単身離婚しやってきましたが、おかげさまで退屈と言う思いはなく、ただただ、日々生きていくのが精一杯の時代が私にやってきました。

正直、退屈だった結婚生活を懐かしく思ったときもありますが、決して後悔はしておりません。 母の子守唄のような言葉「あなたのために離婚しない。」という犠牲的な発想が私を前進させてくれたのです。

辛いのも退屈なのもどちらも大変。  ワンマンな父を支えながら私を育ててくれたことに対しては感謝しておりますが、母の苦労の犠牲者的な発想とその言葉は未だに私に女性としての生きるべき姿、私が目指す姿へと大きく影響していることは事実です。

時代の流れで女性がどんどん独立できる時代。 とはいうものの、日本もアメリカも一人で生きるのは大変。 しかし、辛い辛いと犠牲者的な発想だけで人生を終わらせるのだけは避けたいというのが私のゴールのひとつ。

ニューヨークとハワイでは見た目では天と地ほど違うようですが、生活の大変さと言う意味では楽園のイメージの中でニューヨークより高い物価のハワイの方が、現実かなりきついものがあります。

しかし、人生を楽しもうという気持ちは何処に居てももてるはず。 「苦労しないと人生でない。」という何となく、陰湿な「風説を耐え忍ぶ」というイメージはともすれば「他人の不幸は蜜の味」ともなるような、歪んだ背景へともなりえるのではないでしょうか。

ニューヨークで移民となった私は、辛くても離婚しない苦労とは違う苦労を重ねてきました。 しかし、ハワイに来てその苦労という観念も少しずつ変化しました。

幸せって自分の心の中で創ることができるし、物や環境はその一部でしかないということ。 母の時代には許されなかったことを、やってしまった娘の私。 もちろん、実家に帰れば非難轟々。 しかし、助け合いというものを感じなかった日本の社会で育った私には何の未練もないのです。 

時代の流れで女性の生き方はどんどん変化します。 
そして苦労は何処にでもあるはず。そしてあらゆる形で訪れます。 だからこそ、心の中の幸せを探せる人間でいたいと思わずにいられません。 耐え忍ぶためだけの結婚も、退屈で死にそうな結婚も、自分次第なのではないかとようやく思えるようになってまいりました。