You Can Heal Yourself
私は元海軍予科練のハードコアな父の元で一人娘として育ち、16歳で父を亡し、母一人子一人という緊迫した環境で育ちました。
幼い頃から、父の経営する会社の跡継ぎ、また養子を迎えての家の継承者として育ててられた私。 こんな私が母を日本に一人残し、アメリカで移民となるなど、私の育った時代にはまだまだ、社会的に受け入れられるものではありませんでした。
By Noriko in ハワイ・日刊サン掲載記事 Tags: ハワイとシニア
You Can Heal Yourself
私は元海軍予科練のハードコアな父の元で一人娘として育ち、16歳で父を亡し、母一人子一人という緊迫した環境で育ちました。
幼い頃から、父の経営する会社の跡継ぎ、また養子を迎えての家の継承者として育ててられた私。 こんな私が母を日本に一人残し、アメリカで移民となるなど、私の育った時代にはまだまだ、社会的に受け入れられるものではありませんでした。
By Noriko in ハワイ・日刊サン掲載記事, ハワイとシニア
You Can Heal Yourself
「シニアの母とのハワイの私」6
「辛くても離婚しなかった母と退屈で離婚した娘」
「私には学歴がないから、あなたを育てられないから辛くても離婚できないの。」といわれて続けて育った私。 この言葉は私の耳に一生残っていくのだろうか。 今でも時々耳鳴りのように戻ってくることがあります。
私は過去に3度も離婚しました。 そしてそのうちに2回の離婚の原因は辛くて言うよりも、退屈という辛さが原因でした。
母から言わせれば単なるわがままでしょう。 しかし私にはこのまま自分の一生がこの退屈でたいした変化もしないまま終わるのかと言う恐怖が離婚へと導いたのです。
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By Oten in ハワイ・日刊サン掲載記事, ハワイとシニア
You Can Heal Yourself
「シニアの母とのハワイの私」2
私の母はよく、「私は今までいろんな占いで、「あなたは晩年が幸せになります。」と言われたのよ。」と私に言います。
正直,娘として母のこの言葉を聞くときの私の気持ちは複雑極まりないのです。
「彼女のこの言葉は一体私に何を言おうとしているのかな。」 考えるだけでも私にとっては恐ろしいのです。
理由は「いつになったら親孝行してくれるの?」「80歳の高齢になっていつまで待たせるの?」っと母が私に命がけで迫ってくるような気がするからです。 恐ろしくて縮み上がっている自らの心の姿に気づき、ぞっとしたのはつい最近の話です。
母の育った環境や日本の状況を考えれば母の言葉に私を傷つけるような気持ちがないことは十分わかってはおります。 日本では「幸せは自分で宣言してなるもの。つかむもの。」というより、苦労しその結果得られるもの。という考えが根強いと思われます。
それでも母の「私は晩年に幸せになるのよ」という言葉が出てくるたびに、「今の私は幸せでない。」「あなたは娘として早くこの晩年の幸せを持ってきなさい。」と、日本独特の何ともいえない依存型の強制的圧迫間を母子の間で感じずには居られません。
先日80歳になる母の介護の手続きなどの手伝いで、日本で一ヶ月ほど母と過ごしました。彼女は相変わらず「ママは晩年は幸せになると言われているから。」とあの恐ろしい脅迫文を発してて私を暗い穴に落としてくれます。 どう考えても彼女の心の底には「今の自分はまだ幸せでなく、誰かが(この場合娘)がその幸せを運んでくれる。」という半ば夢見る少女のまま目の前の幸せを拒絶している気がします。
彼女は「いつか私は、幸せになる。」という夢の中で老後を迎え今、「幸せを待ち望み続け目の前にあっても認めない。」という姿勢に一生を徹すると決心している様子で私には何も出来ません。
ハワイに戻って、日本的考え方が繁栄されないアメリカ社会に戻りセラピーでのドクターとのセッションで、ようやく彼女の「幸せを他人に依存しているという、時代と国民性」を第三者の目から見られるようになり、母の私を縛る目に見えないロープから開放されてきました。
ドクターとのやりとりで、私は先ず、「母の幸せに私は何の責任もない。」ということ。まして私には母が思う、物理的な幸せの形の定義が全く理解できないので、彼女の幸せをすることは、不可能であるという事実の確認。
母の自分の幸せはお届け物のようなもので、「じっと風雪の中、耐え続けて待ち続ければ、もしラッキーなら贈り物として届けてもらうもの。」という日本独特の考え方はアメリカ本土で大人として成長した私には、矛盾だらけで受け入れることが出来ず、母を幸せに出来ないという心の葛藤と娘としての罪悪感が心の中での障害となっていたのです。
食べ物もまともになかった日本の戦争時代に育った私の両親の世代は今、老人となりこの世での最終章に入っています。 「幸せは自分でなるもの。自己責任である」という私が歩いたアメリカでの考え方や生き方を、次世代の日本の子供達が自然に信じられる国であることを祈ります。
By Noriko in ハワイ・日刊サン掲載記事, ハワイとシニア
You Can Heal Yourself
「シニアの母とのハワイの私」1.
私は元海軍予科練のハードコアな父の元で一人娘として育ち、16歳で父を亡し、母一人子一人という緊迫した環境で育ちました。
幼い頃から、父の経営する会社の跡継ぎ、また養子を迎えての家の継承者として育ててられた私。 こんな私が母を日本に一人残し、アメリカで移民となるなど、私の育った時代にはまだまだ、社会的に受け入れられるものではありませんでした。
しかし、社会的風習や考えの押し売り、一人の人間の個性より集団としての一致を重んじる文化では、この自分は受け入れられないと確信しアメリカ移民を決意したのです。
もちろん、友人知人、近所親戚全ての人のお別れの言葉には必ず、「お母さんを置いていくのね。」という心配してくれているのか、嫉妬から言っているのかどちらともいえない、言葉が飛び交いました。 当然のことながら、私は罪の意識と心配で身動きが取れない心の自爆状態から逃れられず、長いアメリカ生活の間に心の病に至るまで悩みに悩みました。
でも、今の私は自分の受けた生を全うすることこそが、親孝行だと固く信じております。 日本で行政がヘルプするシニアケアが盛んになったとはいえ、一般的には私達のニーズを繁栄してくれているかは別物のようです。
先日日本に戻って、母の介護の方々との接触を通して、このことを知りました。先ず過剰なほどのサービスといわれているものの、家族が海外に居る場合のそれぞれの業者さんや行政の対応は、一般的に手付かずのような気がします。
簡単な、メールでの状況の報告、写真やビデオのやり取りすらも対応してもらえない、「一生懸命お母さんのために、尽くさせていただきます。」とはいいいながら、「しかし、機会は電話操作すらも出来ません。」っと頑固として、メールやビデオチャットなど、私達、家族がやってもらいたいことには、協力してもらえる様子はないのが現状のようです。
一方、私の夫は白人系のアメリカ人。カリフォルニア生まれで、ハワイ育ち。 彼の両親や成人した娘達との関係を見ていると、私のように親に対して変な義務感ではなく、純粋に家族としてお互いを尊重した上で、愛情を確かめ合う姿が見られます。
つまり、お互いが何処に居てもそれぞれの生活を尊重し、誰かが誰かの面倒を見るために生きる。という固定観念はありません。
もちろん、私にとって母は大切な人です。 感謝もしています。 だからこそ、私は母に私の生活を直接見せたいし、私も母の生の姿を電話以外で知りたい。 彼女がご飯を何度食べたかと言う報告以外に、知りたいことがあるのです。
母に「娘がハワイに居ても、たった一人の残された惨めな老人」という思いを抱かず、自らの人生と照らし合わせ、「この子を産んだ自分の人生は素晴らしいものだった。」と思わせてあがえるために、私は一体ハワイに居て何が出来るのだろうか。という真剣な思いが始まりました。
テクノロジーが栄え、生活の場所やライフスタイルを自由に選ぶことが当たり前に時代がやってきました。老人医療業界の方の海外に向ける日本側の新しいサービスでの対応を、一日も早く大いに期待しております。
By Noriko in シニアのアイパッドしてますねん!, ハワイとシニア, マダム・マーメイド
独身時代のように、書きたいときにブログが書けずに、戸惑いとイライラの日々が続いているマダム・マーメイドのカイルアお天です。
この週末は3連休で、金曜日から夫が家に居ました。
これって結構きついって事が、わかりました。
先ず、何をしても必ず、文句しか言わない母とフェイスタイムして、その間待たせている夫は、機嫌が悪いし。。。
家の中がが日本語になると、とたんにご機嫌が悪くなる夫と、そんなことは一向に気にせず、一方的に次から次へと、何でも突っかかってくる母を抱えて、頭の中はクタクタ。。。。
でも、アメリカ独立記念日は私にとって大切な日。
母から、そして日本からの独立。
もう、この不服だらけの人生の彼女と私は別の場所に居れる。
20数年離れていたけど、こんなに画面を通すと、怖い顔していつも口しか言わない人だったことに気づいただけでも、独立記念日。。。。
これが私にとっての、一番のイベントでした。